日本共産党新座市議会議員団
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にいざ民報

2005.5.15  No.1113
日本共産党新座市委員会
力合わせて平和憲法守り抜こう
メーデーに600人参加
 第76回北足立南部地域のメーデーが5月1日朝霞中央公園でおこなわれ、新座、朝霞、志木、和光地域から25団体600人が参加しました。

 小野輝雄地区労議長のあいさつの後、参加団体の決意表明がありました。新座市からは市職員労組の鈴村一夫委員長と学童労組斉藤規容子執行委員が発言しました。

 参加者は「大幅賃上げでこそ景気回復」「憲法・教育基本法改悪反対」「自衛隊はイラクから即時撤退せよ」などのプラカードやゼッケンを持参し、朝霞駅周辺を約40分間デモ行進しました。「草の乱」の旗をなびかせ、秩父事件の装束を身につけた埼玉土建新座支部の参加者、大きなみこしを担いで参加した年金者組合新座支部などがひときわ目だったデモ隊でした。

 日本共産党からは新座市議団も参加し、桜井晴子志木市議が代表で連帯の挨拶をしました。
議席奪還へあやべ氏
 日本共産党埼玉県委員会は2007年参議院選挙区に党県くらし福祉対策委員長のあやべ澄子氏の擁立を発表しました。

 増子典男県委員長は「憲法改悪をねらう二大政党づくりを打破するためにも定数3の埼玉で議席を奪還したい」と述べました。
あやべ澄子 参議院埼玉選挙区
あやべ(綾部)澄子(46歳)=新=
1959年静岡生まれ。広島大学卒。党県委員。前西部東地区副委員長。家族は夫、一男一女。新座市野火止団地在住。
公民館の有料化 存亡の危機のサークルも
 公民館でサークル活動を始めて10年目に入ります。今回初めて公民館祭りの実行委員を引き受け、百近くあるサークルの活動や内容が見えて貴重な体験をしました。

 公民館祭りの中でも「今回の発表が最後です」というサークルがあり、公民館有料化の影響がもう出ているのがわかりました。特に体育館の使用料は一番高いので、体育館を毎週使っているサークルは会場費が数千円になり、メンバーが少ないところは活動を維持できずにやめざるをえないのです。

 19日には祭りの反省の利用者懇談会が開かれます。住民の楽しみを奪うような市のやり方にはとても納得できません。

(粟原・Aさん)


 私たちは体育館で健康体操を公民館ができて以来ずっとやらしてもらっています。週一度でも毎週続けると筋力の衰えを防ぎ、また友人とのおしゃべりは心身の健康にとってまたとない大切なひと時となっています。これから高齢化が進み、遠くのカルチャースクールなどにはとても通えません。身近で安く健康のために続けられるのが公民館活動のよいところだったのに、私たちのサークルも存亡の危機に立っています。

(畑中・Gさん)
ニューヨーク NPT(核不拡散)再検討会議に参加して
 5月2日から27日まで開かれているNPT(核不拡散)再検討会議は、5年前核保有国を含め189カ国が合意した核兵器廃絶の「明確な約束」の実行が迫られています。私は知事をはじめ99名の自治体の首長、議長など23万筆を越える埼玉県民の「いま、核兵器の廃絶を」の署名を携えて県内31名の代表とともに会議に参加しました。

 4月29日は肌寒い朝10時から、マンハッタン市内のタイムズスクェアー街頭で署名行動をおこないました。埼玉県の代表は県原水協の横断幕をかかげ原爆組写真や折鶴などを手に「プリーズサイン」など片言の英語で署名を訴え、1時間足らずの間に85筆の署名が寄せられました。私も「ヘイサイン、アボリッション・ナウ、ニュークリア・ウェアポン」など知っている限りの単語で署名板を差し出すと文章を確認し、OKとうなずいて10人がサインしてくれました。浦和駅などの6・9行動とは違った手ごたえを感じ嬉しくなりました。

 30日は午後2時からセント・ジョン・デイバイン大聖堂で開かれた日本原水協主催の公開シンポに出席しました。エジプトのアゲド・アグデラギズ国連大使は、国連に提出される300万の署名に「道義的な責任を感じ、830名の代表団に敬意を表したい」と発言。反核組織・国際ネットワーク「廃絶2000」のジャクリーン・カバソ女史は、「NPT会議の行方に困難はあるが、あきらめないで奮闘しよう」と呼ぴかけました。

 米フレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏は「いま、米国は世界でますます孤立し衰退が始まる時点にいる」と発言しました。場内からの質疑もおこなわれ参加者全員がイヤホンで参加した画期的なシンポでした。

 1日は五月晴れ。12時からパレードがセントラルパークに向けて出発しました。一つのテントの前に日本から船便で送られた125万筆の署名が積み上げられました。埼玉県代表団はニューヨークで初めて全員集会をおこない、ただちに組を作って署名行動などに取り組みました。正面舞台では米国の反核・平和組織の発言などにまじって広島、長崎両市長の発言がおこなわれました。

 2日は国連見学。テレビやマスコミの取材が群がっていましたが、ロビーでの原爆展は初めての試みだそうです。

 核兵器廃絶を敵視し不拡散だと主張するアメリカの横暴で情勢は予断を許しませんが、この5月ニューヨークに集中した世界の反核・平和の大波は市民の共感を呼びブッシュ政権の孤立をますます鮮明にしています。核廃絶にむけた世界世論の高まりを実感した会議でした

(市瀬陽三・野寺)
真実見抜く目を −新婦人支部大会にて−
イラクで拘束されたジャーナリストが講演
 安岡純平さんは1974年生まれで31歳。取材中にイラクで拘束され死の淵から生還したジャーナリストらしく緊張感の漂う精悍な表情の方でした。

 安岡氏の話はNHK籠城自己責任論から始まりました。イラク戦争の始まる2003年にすべてのマスコミは撤退したにもかかわらず、NHKに対する世諭の批判の嵐の中でNHKは一切取材はできないのにイラクのホテルにただ立て籠もるだけだったそうです。

 二つのことが印象的でした。一つは自衛隊がイラクに行った最大の理由はアメリカのためでなく日本軍国化へ乗り出していくうってつけのチャンスであった事、また、某新聞社の「イラクのホテル客を狙ったテロ」と報じられた記事はアメリカのスパイ機関CIAの巣窟の襲撃事実を曲解して報じている等、事実がマスコミによって語られることが少ないからインターネットを使いこなして様々な情報の中から選びとってくださいという熱いメッセージでした。

 日本のマスコミは戦場の死体は流さないとか・・真実を自分の目で見抜く大切さを感じました。

(宮内・片山在住)
徴兵検査 −戦後60年に想う−
 60年程前までは日本に「徴兵検査」というものがありました。「国民皆兵」といって男子は満20歳になると兵隊になるための検査を義務として受け、私はその軍国主義世代の最後の頃の一人です。

 私はその頃すでに軽い肺結核を患っていましたが、「国民一丸火の玉」となって「鬼畜米英」に体当たりせよという時代でしたから、療養も半端な状態でやっとのこと工場で働いていました。そんな時の検査ですから結果は「丙種」でした。甲、乙、丙・・という今でいう五段階評価のようなものです。そして別室にゆき居並ぶ町のえらい方の前で直立不動で「丙種合格」と報告しました。

 丙種は不名誉な役立たずです。しかし検査の後で軍医に言われたさりげないひと事「大事にしなさい」という言葉が有難く頭の隅にしっかり残っておりました。

 そして60年近くも経て年老いたこの頃、とくに深いところから聞こえてくるような気がします。

 戦争の体験は百人が百様ともいえると言いますが、誰にとってもそれは悲惨の一語に尽きます。「二度と戦争はしない」と誓った日本人のひとりとして、このやさしい、あたりまえの「大事にしなさい」という軍医の言葉を深く深く考えつづけてゆこうと強く思っています。

(新座団地・杉山四郎・81歳)
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