「湾岸戦争の時、『日本は金を出すだけでなく血を流せ』との議論があり自分の気持ちが揺らいだ。ギリシャ人から、”日本には日本国憲法があるでしょう”と言われ憲法九条は平和の武器だと教えられた」(畑中Mさん) 5月11日「安倍暴走政治にストップを!憲法記念討論集会」(新座革新懇主催)がふるさと新座館で開かれ41名が参加しました。 集会では、集団的自衛権の行使を許さない(朝賀市議)、秘密保護法の撤廃を目指して(市瀬さん)安倍「教育再生」案について(Kさん)と三つのテーマでパネラーが報告を行いました。安倍政権が進める解釈改憲による集団的自衛権の行使容認は、海外で戦争できる国づくりのため、秘密保護法や「愛国心」教育で人づくりを狙っていることが明らかにされました。 Kさんは、県立朝霞高校の台湾への就学旅行の学習に対して一部の県議が生徒の感想文を議会に提出させる。従軍慰安婦の記述のある日本史教科書を採択した8校の校長を県議会に呼び出し圧力をかけるなど、不当な政治的介入を報告。「学校が地域から支持されることが大切で先生への励ましを」と訴えました。会場からは10人が自由発言。冒頭のように、今輝く憲法を確かめ合いました。 笠原市議は、安倍政権が教育委員会を国と首長の支配下に置く改悪法案を国会に提出し、侵略戦争美化の愛国心教育の押しつけ、異常な競争主義の持ち込みを狙っており、許さない運動を共同でと訴え。 小野市議は「日本の学費は世界一高い。利子つきの奨学金で卒業までに600万円もの借金になる」と青年の現状を発言。芦野市議は「学校の道徳本は、自分で生きていく力、自己責任を強調している。市内のある中学校ではテスト結果が廊下に張り出されている」と告発しました。 (記・笠原進市議)
5月8日、文教環境常任委員会で「仮称)畑中霊園建設に反対する」陳情審議が行われ、約30名の住民や新聞記者が傍聴する中、陳情は6度目の継続審議となりました。次回は6月11日の委員会で審議されます。 陳情代表者は、畑中霊園は「建設が始まっている堀ノ内『やすらぎの里』墓地の擁壁より高い7メートルの擁壁が立ち圧迫感は耐えられない。畑中は墓地に向かない傾斜地だと我々はずっと異議を唱えてきたが市は公聴会を拒否し、事業者も会おうとせず、市に指導を求めると民民の事と言われ、最後は法に訴えるしかないかと追い詰められています」と陳情採択を求めました。 委員会では、番星寺は4年前から新座メモリアルを経営しているのに、宗教法人規則に「墓園事業」を明記していない。その規則改正に時間がかかっている。墓地の売り上げの特別会計がない等、墓地経営者として不適格であることが明らかになっています。 平成22年から販売を開始している新座メモリアルの永代使用料が番星寺名義の通帳に入金されていると課長は答弁しましたが、通帳は作るが管理はしていないのが「名義貸し」の常套手段となっているという情報もあります。 委員から、「条例改正前のギリギリの駆け込み申請であり、より厳格な審査が必要だと思う。どうして住民が求める公聴会を開かないのか」「申請時に重要な書類の不備があったのに受理したというがその書類とは何か」等の質問があり、環境対策課長が答弁しました。最終的には墓地の許認可権を持つ市長の態度が問われています。 (記・工藤かおる市議)
市長が3月議会で、「保谷朝霞線を幅員27m4車線とする県の方針を了承した」という突然の表明に住民は驚愕。「保谷朝霞線を考える住民の集い」が11日野寺集会所で行われ、近隣住民、県議、市議5人など60数名が参加しました。 新道路対策連絡協議会の事務局長は「8年越しに反対運動。市長も20m2車線でいいと言っていたのに住民無視は許せない」と説明した後、フリートークを開始。参加者から次のように活発な意見が出されました。
5月3日から二泊三日で民青同盟埼玉県委員会主催の被災地ボランティアに大学生や高校生など青年17名で参加しました。三日の夜に福島の郡山の文化村おもだか(ボランティアのための宿泊施設)に向けて出発。 5月4日は、大熊町の隣、福島第2原発がある富岡町周辺をフィールドワーク。はじめに訪れたjヴィレッジ(過去には日本代表チームも練習したサッカー練習場)は、原発労働者の仮設住宅が設置され、時計は2時46分で止まっていました。 草木は17マイクロシーベルト 除染進まぬ富岡町 バスでの移動でしたが、いたるところで、フレコンバック(除染された土を入れる袋)が山積みされているのを見かけました。線量が高い田畑、住宅、道路などは除染がされていますが、山林の除染は進んでいません。富岡町の帰還困難区域の周辺では、空間線量は3μsv/hですが、草木近くに線量計を近づけると17μsv/hにまで跳ね上がります。「セシウムが蓄積されるためだ」地元のガイドさんが説明してくれました。 富岡駅は、瓦礫は撤去されていましたが、それ以外は、3・11から時間が止まり、まるでゴーストタウンのようでした。津波被害もそのまま残っています。 5月5日は、仮設住宅を訪問。何か困っていることがないかお伺いしました。60代の男性は、「(仮設住宅は)冬寒く、夏暑い」「隣との壁も薄いから音が漏れる」と話していました。仮設住宅は、4畳二間。私物などを部屋に置けば寝るスペース程度しか空きません。 復興住宅には全員が入れるわけではありません。 私は、福島に訪れたのは初めてです。福島の復興は始まってもいないということを強く感じました。また共産党が原発労働者の健康や命を守る相談を続けていること、除染袋の置き場を引き受けている党員にもお会いし感銘を受けました。 新座市の『脱原発ウォーキング』を続ける理由は、原発をなくすことでした。今回のボランティアでもうひとつ理由ができました。福島を取り戻すことです。 6月15日11回目の「脱原発ウォーキング」では「福島返せ」のシュプレッヒコールを思いっきり挙げたいと思います。 (記・小野大輔市議)