日本共産党新座市議会議員団
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にいざ民報

2011.5.29  No.1416
日本共産党新座市委員会
原冨さとる氏に埼玉知事選挙に出馬要請
民主県政を進める埼玉連絡会
 5月23日、日本共産党も参加する「民主県政を進める埼玉各界連絡会」が開かれ、7月31日投票の県知事選挙にむけての基本方針と候補者として原冨さとる氏(前埼玉県労働組合連合会議長)に出馬を要請することを決定しました。

 原冨さとる氏は、長年、労働運動や社会保障推進協議会のリーダーとして活躍し、県政変革に強い情熱を持つ人。これから各団体の推薦決議をあげ6月13日に決起集会がおこなわれます。
原冨さとる氏 原冨悟 (はらとみさとる)
1947年山口県萩市生まれ。
1985年埼玉土建一般労組中央執行委員、89年埼玉県労働組合連合会結成に参加。 04年より同議長。
埼玉県社会保障推進協議会事務局長、埼玉県民主県政の会総括幹事、埼玉憲法会議代表委員など地域の共同の運動を推進。
住民に希望のメッセージを
 震災が起きでから70日余りたった。ギリギリの避難生活をおくる被災者の支援も、瓦礫の撤去も農業や漁業の再生も、政府のあまりの対応の遅さにいらだつ毎日だ。

 全国から寄せられた義援金の配分さえまだ3割という実情。岩手、宮城、福島の3県を中心に未だに約10万人が避難生活を送っており、政府の調査でもパンとおにぎりだけとか、お風呂に毎日入れないといった避難所が残されている。肺炎などによる「震災関連死」の増加も問題となっている。被災者が待ち望む仮設住宅の建設も大幅に遅れている。

 政府は第二次補正予算を直ちに発動すべきだ。「被災者が生活再建に希望を持てるような強力なメッセージを」と日本共産党は政府に二回目の提言をおこなった。

日本共産党 塩川てつや衆議院議員
個人宅の耐震補強工事 300万円まで助成
共産党市議団 新宿区の助成制度を視察
マンション耐震 4000万円まで助成

 「自宅の耐震工事をしたいけど、お金が心配で」東日本大震災後にこんな市民の声が寄せられるようになりました。日本共産党市議団は5月18日、耐震補強工事助成で先進的な新宿区の調査を行いました。
 新宿区では、木造住宅に最高300万円、マンション等に最高4000万円の助成制度を実施。2015年までの耐震化率を90%以上とし災害に強い安全なまちづくりを目指しています。

 耐震化を進める場合の手順は次のようです。
 1区に連絡すると無料で耐震アドバイザーが派遣され簡単な耐震診断をおこないます。2耐震補強が必要となれば、耐震詳細診断、耐震補強設計を行います。(15万円助成)3工事をおこなう場合、住民税非課税世帯などは工事費の75%(上限300万円)を補助します。世帯全員の所得金額合計が800万円以下が条件です。65才以上の高齢者または障害者が居住する場合は工事費の50%(上限200万円)。
 これまでの実績は下表の通りですが、「耐震診断は震災後、申込みが200件以上と急激に増え、事務が追い付かない」と課長が語っていました。

 マンションなど鉄筋コンクリート造り建築への助成も昨年度から開始しました。
 区分所有の場合、管理組合の総会決議が必要です。耐震診断と補強設計の補助金はそれぞれ事業費の2/3以内(上限200万円)。改修工事への補助は上限4000万円です。緊急輸送道路沿いの建物の場合は、上限1億円まで助成します。

家屋の耐震化を粘りづよく主張 共産党新宿区議団

 共産党新宿区議団は中越地震のボランティアの経験から、「家屋の倒壊で多くの方が犠牲になった。個人家屋の耐震化を」とねばり強く主張。このトップクラスの助成制度を実現しました。
 その他、ブロック塀撤去に上限20万円、耐震シェルター(寝室など一室を耐震化)に45万円などの補助事業もあります。
 老朽化した木造住宅が密集している地震危険地域には制度を知らせるチラシを全戸配布して区民への周知に努めているとのことでした。
新宿区の耐震補強工事への助成 実績
無党派と手を携え 憲法輝く日本を
革新懇運動がいま待たれている 新座革新懇が講演会
 5月22日、「私たちの暮らしと憲法」をテーマに新座革新懇主催の講演会が開催され約50名が参加しました。講師は元衆院議員の松本善明氏。

 松本氏は「共産党と無党派の統一戦線組織として革新懇が始まった。運動の目標は暮らしを豊かにし、日米安保を無くして憲法を守るの三つが柱である」「米中が戦争をしない時代に入り、核廃絶が現実的になった国際情勢を日本政府は見極められない。世界的な不景気で、不確定な世界情勢の中で、今こそ憲法を主体にした大衆運動の原点である革新懇運動か、4割を占める無党派に働きかければ、日本の政治は変わる」と締めくくられました。

(代表世話人・西川久治)
今、自分に何ができるのか(参加者の感想より)
 今年から大学生となり大きく変わったことは、自分の考えを人に伝えることが求められるようになったことです。僕はそのためには色々な人の考えを知る必要があると思い、チラシを見て行ってみることにしました。
 松本善明さんの話は革新懇の始まりから原発、国際情勢と自分が思っていた以上のものでした。最後に話された松川事件は僕は日本史の教科書に載っている事件といった浅い知識しか持っていませんてしたが未だに苦しんでいる人がいるのに驚きました。
 震災以来、自分には今何かできるのかを考えるようになりました。今日の講演を参考に色々な活動に参加していきたいと思います。
大規模化を解決し質の高い保育を
新座市学童保育の会が第39回総会
 5月21日、第39回新座市学童保育の会総会が開かれ、工藤、石島両市議が出席しました。  市内17カ所中12カ所の学童保育室の大規模・過密を解消する取組や、震災時に連絡手段をと緊急要望書を市に提出したこと等が報告されました。

 被災した学童保育施設の再建や、子どもの心のケア、指導員の給与保障などを支援する義援金への協力呼びかけもおこなわれました。
原発と津波 苦境の4従兄と会う
仙台から南相馬 1100キロを走る
 大型連休を使って、原発事故で避難を余儀なくされている4人の従兄と、妻の故郷の石巻を訪ねました。

 原発20キロ圏内の浪江町から郡山市に避難している従兄は、親戚のツテで借りた空家に一家5人で暮らしていました。嫁さんの両親や姉の子たちは海近くに住んでいたため、未だに行方不明です。従兄の息子さんは、「津波の直後、捜索しようとしたが、原発の避難指示に従わざるを得ず、今は自衛隊の捜索隊が遺体を見つけると南相馬に見に行く。遺体は白い布でくるまれ、とても正視できない」と今にも泣きだしそうでした。

 川俣町の雇用促進住宅に避難している従兄は、やっと這って歩ける母と妻の3人暮らしでした。水素爆発の音を聞いてもう駄目だと思い、警察に催促されて避難したとのことでした。
 南相馬市の従兄は、当初は二本松の海外青年協力隊の訓練施設に避難しましたが、30キロ圏ぎりぎりの外側なので家に帰っていました。周りは空き家が多く、やっと昨日から新聞を入れてもらったと言っていました。
 石巻では、妻の友人の父親が亡くなった家の跡に花を供え、冥福を析リました。

 合計1100キロ走りました。仙台から南相馬に向かう途中の名取、岩沼、山元町、新地、相馬など6号線を走ると「葬儀」の張り出しが非常に目につきます。  山元町付近は国道の西側まで津波が来た跡があり、がれきの撤去はほとんど進んでいませんでした。
 最後に騎西高校に避難している双葉町の従兄に会いました。仕切りもなく布団を敷きつめ、大変な環境だと感じました。一日も早く人間らしい生活が取り戻せるよう願わずにはいられません。

(境繁樹)
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