日本共産党新座市議会議員団
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にいざ民報

2010.8.22  No.1378
日本共産党新座市委員会
「ほんとうはこうだったんだ!」(小学生)
原爆パネル展(新座市原水爆禁止協議会主催)を見て
 新座市原水爆禁止協議会が8月4日〜13日、市役所一階ロビーで行った「原爆パネル展」感想ノートに、市民から多数の感想が寄せられました。いくつかご紹介します。
「ぼくは、がっこうのしゅくだいでせんそうの本をよみました。本とうは、こうだったんだ!」
「自ら折った折り鶴を貼るところがいいですね。平和への思いをこめて・・。新座市は平和都市宣言をされているとのことですので、もっといろいろなとりくみが年間を通じてあるといいなと思います。」
「写真はどれも戦争に関係のない人々の苦しみが伝わる物でとても痛みを感じました。平和ボケしている日本ですが、忘れることのないよう子どもたちに伝えていきたいです。女性は子どもを産めますが戦争は何も産まないと思います。壊すだけです。」
「新座市へ転居4年目ですが、緑多い新座市が好きです。小学校の時、都内品川区と港区で2度戦火に逢い、何とか命を救われましたが妹と弟を失いました。戦争は絶対に反対です。あってはなりません。多くの尊い命、財産を失くす暴挙は許されません。
 広島へ二度、長崎へ一度行きました。実際に被爆者の方々と会って話も聞かせていただきました。日本人として一人でも多くの人が広島・長崎を訪問してほしい。正しい歴史観を持って平和な世の中にしよう!。テレビや旅行も楽しいでしょうが、日本の現実を見直しましょう。」
核兵器のない世界へ 一筆一筆に願いを込め
志木駅での核廃絶署名 2010.8.6
志木駅での核廃絶署名 2010.8.6

 新座市原水協は毎月6日か9日に市内3駅を廻って「核兵器のない世界を」求める国際署名をおこなっています。

 8月6日広島への原爆投下65年目の日も志木駅で行動し、74筆の署名が集まりました。

(記・石島市議)

アナログ停波の延期を望む
埼玉のテレビ受信者支援センター(デジサポ埼玉)を訪問する塩川議員
埼玉のテレビ受信者支援センター(デジサポ埼玉)を訪問する塩川議員

 来年7月のアナログ波停波にむけて号令をかけている総務省。最前線で奮闘している埼玉デジサポで取組状況を聞いた。

 受信機の普及や地デジ化対応工事は進んでいるように見えるが、いくつかの問題点を感じた。

(1)「受信障害がなくなります」とチラシを配布すれば「地デジ対応済み」となる。これでは地デジ化最大の難関とされる「ビル影共聴」の問題で対応できない世帯が大量に残されそうだ。

(2)古い小規模の集合住宅の地デジ化普及が遅れる。

(3)「事業仕分け」で地デジ周知のための人件費が削られた。最後のラストスパートなのにマンパワーは半減。民主党政権は全くちぐはぐなことをやっている。

 アナログ停波延期を真剣に考えるべきだと思う。

〈塩川鉄也衆院議員〉

新座市 百歳以上34名の所在を確認
 百歳以上の高齢者の所在について全国で不明の方が二百数十人に及ぶなど問題となっています。新座市では、百歳以上の方は34名(8月1日現在 男性1名、女性33名)おられます。

 市役所の長寿支援課で、病院での受診記録や介護保険の利用記録などを確認したところ、33名の記録が確認されました。一年以上何の記録もない方が一人いらっしゃり、その方は訪問して確認したとのことでした。

 今後、対面確認や、百歳以下の高齢者の方々についても所在の確認が課題となっています。

(記・朝賀市議)
綺麗な校舎、トイレに 新座中、四小のトイレも
片山小学校を大規模改修
片山小学校を大規模改修
今、核廃絶に行動するとき
学び、語り合った広島の三日間
広島平和公園にて 2010・8・6 
多くの皆さんに祈っていただき集めた折り鶴三千羽を、原爆の子の像のブースに奉納してきました。2010・8・6 広島平和公園

 初めて原水爆禁止世界大会に青年ピースバスツアーで参加しました。埼玉のバスは26名で中学生、高校生もいて平均年齢23歳という若さでした。

 原爆資料館を見学。被爆の傷跡で原爆の恐ろしさを実感しました。世界大会総会は27か国75名の海外代表の参加、スピーチがありました。
 核兵器をなくす青年交流会では最後に全員で「ゼロ〜!」と団扇をかかげ1300人の青年が一体となった気がしました。

 5日の分科会で被爆者の証言を聞き、市内の被爆碑めぐりでは当時のことを聞きながら見学しました。原爆ドーム前でのキャンドルナイトは、ほのかな明かりが幻想的で平和の歌を合唱しました。

 6日の平和記念式典で、原爆が投下された8時15分に黙とうをささげました。ものすごい人が集まっていて、関心と注目の集まりを感じました。  パン・ギムン国連事務総長の「今こそ、核兵器廃絶のために行動しよう」との強い発言に感動したのに対し、管首相の「核抑止力は必要」発言には強い憤りを感じがっかりしました。
 広島の秋葉市長のように、アメリカの「核の傘」から離脱し、憲法九条を守り活かし、非核三原則の厳守と法制化を進め、被爆国日本が先頭にたって、核廃絶を訴え行動する時です。

 原爆投下がアメリカによる人体実験であったこと、想像をこえた地獄のような惨状だったことを知りました。「核抑止力」論は最大の障害で、あらたな核保有国を誘引し、核兵器のない安全こそ実現すべきだと学びました。

(投稿・笠原 悠二)


手作りの旗、絵画で青年たちが核署名 (小野市議)
旗も手作りです
旗も手作りです

 8月15日終戦記念日に志木駅で核兵器廃絶署名を行い、1時間で63筆もの署名が寄せられました。

 宣伝は、原水禁2010年世界大会に参加した青年達が企画。原爆写真や手作りの絵画、旗を展示。元ちとせやミスターチルドレンなどが歌う反戦歌を流しながら宣伝。高齢者から小学生まで足を止め、被爆写真を真剣な表情で見つめていました。

ノーモアヒロシマ

 青年たちは、「来年の原水爆禁止2011年世界大会に向けて、毎月6・9行動とともに折りヅル宣伝に取り組みたい」とし、次回の宣伝は9月9日北朝霞駅で17時〜18時です。

グランドゼロ(爆心地)から平和を叫ぶ
原爆ドームの前で。医療生協代表の広瀬さんと工藤市議 8/6
原爆ドームの前で。医療生協代表の広瀬さんと工藤市議 8/6

 8月4日から原水爆禁止2010年世界大会・広島に参加しました。世界的な核廃絶機運の盛り上がりの中で74の政府代表が参加、若い人も多く活気あふれる大会でした。

 平和記念式典に初めて参加したパン・ギムン国連事務総長は長崎の原爆資料館を見、被爆者と懇談した上で挨拶しました。
 「被爆者の勇気ある証言が運動に新しい峰をつくった。私たちはグランドゼロ(爆心地)からグローバル・ゼロ(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けている。核軍縮と不拡散を最優先に掲げていく」とその格調の高さに感動しました。

 一方、「非核アジアをつくる分科会」で、中国軍縮会議代表の『先制攻撃はしないが核保有国に対して核兵器使用はありゆる』という発言に驚き、こういう政府とも根気強く一致点を探る核廃絶交渉の難しさを感じました。

 「戦争を終結させるため原爆は必要だった(アメリカ)」「日本は加害国でもある。(中国や韓国などアジア諸国)」と思っている人も各国には多数います。
 こういう人たちと手を結び、日本の歴史に向き合い、核兵器の惨状と憲法九条を伝えてきた日本の原水爆禁止運動が、オバマ発言をうみ、「核抑止から核廃絶へ」と国際世論を変えつつある。その素晴らしさを実感しました。

(記・工藤市議)

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