日本共産党新座市議会議員団
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にいざ民報

2004.5.2  No.1062
日本共産党新座市委員会
新座小跡地利用は周辺住民のために
 笠原進議員は3月議会で「新座小学校の跡地は売却せずに公園、福祉施設や集会施設など市民利用の施設として活用すべき」と一般質間しました。

 笠原議員は「昨年10月の説明会で、市長は学校用地の半分ほどを売却したいと言って市民に不安を与えている。住民の大半は売却しないでほしいと言っている。新座小は新座一、二丁目の皆さんの避難場所になっており、付近には公民館などの公共施設がないことを考えれぱ、新座小跡地を周辺住民のためにどう活用していくかをこの際しっかり検討すべき」と主張しました。

 市長は「売ると言ったのではなく、選択肢の一つとして考えていると申し上げた。新座団地が今後高層化するということもあるかも知れない。そうすると人口増、生徒数の増加も考えられる。売却すると国庫補助金の返還ということもある。いずれにしても検討委員会を地元の皆様とともに設置して十分時間をかけて色々な角度から検討、協議していただく中で有効活用ができれぱということです。一年で結論が出なけれぱ、それはそれでいいかなというぐらいのつもりです。決して売却を決めたわけではない」と答弁しました。

跡地利用検討協議会がスタート

 4月26日、「旧新座小学校跡地利用検討協議会」がスタートしました。メンバーは地元町内会、自治会の代表者10名、市社会福祉協議会などの市内団体代表者7名、教育総務部次長など市職員6名の合計23人です。

 会長に樋口修二氏(新座二丁目町内会役員)、副会長に林和雄氏(新座リバーサイド自治会会長)が選出されました。1ヶ月に1回ほどのぺースで協議することになりました。次回は5月28日夜7時より旧新座小教室でおこないます。公開ですので傍聴できます。
商店街がんばれ!
「北野すこやか広場」が開設 一周年記念行事
 商店街振興策として空き店舗を利用した『北野すこやか広場』の開設一周年記念が4月18日11時からおこなわれ、近辺の方たちで賑わいました。

 当日は夏のような暑さで空も晴れわたり、主催者の運営委員会、町内会、老人会の方たちが忙しく立ち働き、美味しい手打ちうどんがふるまわれました、立教大学の二人の学生がピェロに扮した大道芸に子どもたちは目を輝かせていました。

 水飴のサービスで拍子木を鳴らし、手作りの紙芝居が始まると子どもたちは真剣なまなざしで見入っていました。お菓子や風船のサービスなど盛り沢山。子どもだけでなく、大人やお年寄りも、紙芝居しかなかった時代を思い出して楽しいひとときを過ごすことができたのではないでしょうか。私も商店街ガンバレの声援を心から送りたいと思いました。

(記・保坂市議)
『北野すこやか広場』の開設一周年記念
安心できる年金制度を
 新座市議団6名と日本共産党後援会は、4月17日の平林寺半僧坊まつりの時に「安心できる年金制度を」「イラクからの自衛隊撤退を」の署名活動をおこない、多くの方に協力していただきました。

 14年間連続して保険料を上げ、給付は約2ヶ月分カットするひどい改悪。民主党案は年金財源に消費税3%値上げ。どちらも国民に痛みを強いる改悪案です。

 「無駄遣いをやめて年金を下げないようにできるんじゃないの」「新座じゃないけど署名していいかな」などの声ととともに年金は112筆、自衛隊の方は54筆の署名が短時間に集まりました。
4・17署名活動
聞いて、聞いて
〜地域懇談会での声から〜
 日本共産党後援会は身近な生活と国政、市政の関連について話し合うために『地域懇談会』をおこなっています。そこで出たご意見をいくつかご紹介します。

 「年金問題では、高齢化のピークをすぎてから積立金を崩すなんて。自民、公明党案ではそれまで生きていられないよ」「3人の閣僚の未納はなんなのか。保険料は上げられ支給される方は減らされる、その他の控除もなくなる。こんな法案許せない」「66才からの医療費無料は利用できるかと思っていたら制度がなくなってしまった。損したような気分だ」
 「危険でないからと自衛隊を派遣し、ボランティアの人には危険だから行くなと言うのは変な話だ。国際世論ではこの5人は誇るべき人たちと評しているのに日本のマスコミはおかしい」
「都市計画道路保谷朝霞線は今後、野寺、道場、片山地域にとって大きな問題になる。通学路が4車線道路で分断されることなって危険だ」「排気ガスなど地域の環境にとって心配」「新座駅の地下駐輪場に持っていくのは大変。地上に利用できるスペースを作ってほしい。(三輪車を利用している高齢者より)「新座市は副担任というが実際二人担任は混雑を起こす。30人学級を早く実現してほしい。それが若い人が新座に住み続けることになると思う」
新座駅前の「水車」に一言
 新座駅前に水車が回っていますが、この水車の作りは正確でありません。野火止用水は野火止台地をゆるやかな傾斜で流れていますので、駅前のように上から水をかけて回す水車はありません。

 平林寺裏の「台の水車」は堀を4.5m掘って水車を据え、本流の水を中ほどにかけて回す水車で「胸掛水車」と言われるものでした。野火止用水には13台の水車がありましたが、「穴車」と言われ、堀を深く堀った中に水車を据えていました。

 水車の力で米や麦を挽いて、うどん粉やそば粉を作ることがさかんにおこなわれ、江戸のうどん屋、そぱ屋に出荷していました。

 「台の水車」は平林寺と一緒に岩槻からやってきた最も古い水車です。菅沢には「お茶の水車」といわれ、お茶をつくるのに使った水車があるそうです。

 次回は「水車とはがね工房」を書きます

(K・M)
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